森山さんの写真に、「行間」を見る

5f980acb.jpg【遅くなりました。本編加筆しました(06/12)】

金曜日から始まった、森山大道さんの個展。初日に行ってきました。
入口にて「まだ作品は増えるので、余白の場所もあります」とのひとこと。なんでも、まだ展示作を森山さんは選んでいるらしいのだ。ちょっとびっくり。

展示室に入ると、森山さんの私家版写真誌『記録』(ミュージアムショップで買えます)の最新号に収録されたものを中心に、この2年間に撮影された”いま”の視線約60点が、奥へ移ると30年ほど前に一時ここ札幌に居を構えたこともある森山さんの撮った北海道の”記憶”約30点が展示されているのだけど、こうして一気に年月を隔てたものを見ると最近の作品は必ずしも森山さんの代名詞と言われる「ブレ・ボケ・アレ」でゴリゴリ焼いたものでは必ずしもないんだな、と思うのです。
まぁ、今も焼きはもちろん硬いし(印画紙『月光』が廃番になった時には愛用のVR4号<←解説。5号がいちばん硬い。4号は相当硬いです>をかなり買い占めたらしいが)、ハイコントラストではあるのだけど、ものすごく行間を感じる。見ていて、「行間」という言葉をとにかく感じた気がします。

コントラストの強い表現はファーストインプレッションの印象が強くなりがち。眼に飛び込んでくるその瞬間のインパクトはもちろん強い。ただ、それがステレオタイプのようにただのイメージ先行となってしまうこととは、かなりの確率で紙一重ではないか、と。
そんな中で「行間」を感じさせるものを提示していくことがいかに大変か。森山さんはいちばんそこに心を砕いておられるのかもしれないなぁ。

僕のことを例に挙げるのをお許しいただけるならば、その想い、とてもわかります。
僕は「空気感」という言葉をよく挙げます。目の前にある光景の中から、なぜそれを切り取ろうとしたのか。そこにある空気までも含めて、初めて一枚の写真はかたちになるのではないだろうか……。
時間の流れ、想いの移ろい、それらが互いにつながったとき、動き出すものがある。その間に流れている空気が、物語の行間になるのだと。

足を運ぶ折に、これはとにかく見て欲しいと思う一枚があります。
北海道のセクションにある、どこで撮られたかの明記はないけど、男女の高校生カップルの背中を撮ったものなのだけど、それがものすごく繊細さをたたえていて、まわりの空気感とともに「こんな森山大道の写真があったんだ!」と感じることは確実。

この一ヶ月あまり、「行間」を感じに何度か足を運びたいと思っているところです。

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Yuuki URYU

この「私信」を書いている人。 北海道・札幌を拠点に、写真作家として活動。他にも紙媒体を中心としたデザインの仕事や、編集・インタヴューからラジオパーソナリティの経験など、もはや自分は何屋なのかと思い続けて幾星霜。 昨今のSNS的/メッセンジャー的レスポンスに疲れて、ただ「私信」を書いてみたいと思い、実は2004年から設けているこのブログを復活。